アメリカのホームレスについて

 前々回の投稿、

 

pinoko-kinoko.hatenablog.com

 

でちらっと書いたように、

アメリカに来たり、日本以外の国を旅行するようになってから、ホームレスをよく目にするようになった。事実、日本よりもアメリカの方が路上生活者は文字通り、ケタ違いに多い。

今回は、前半で私が体験したホームレスにまつわる話を、後半でアメリカのホームレス事情について書いていこう。

 

 

でもエピソードの前に、

梶原基次郎の「檸檬」を読んだことがあるだろうか。

私は高校の現代文の授業で知ったのだけど。

梶井基次郎 檸檬

主人公の男は、京都で友人の家から家へ下宿させてもらって暮らしている。身体と精神は肺結核と神経症でボロボロで、おまけに借金を抱えている。

友人宅を訪ねては少し滞在してすぐに追い出され、もう一つ訪ねては追い出されを繰り返し、毎日京都の裏通りを浮浪して時間を潰す、そんな生活を続けている。

その中で彼はこんなことを言う。

 

何故なぜだかその頃私はみすぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋がのぞいていたりする裏通りが好きであった。雨や風がむしばんでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀どべいが崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵ひまわりがあったりカンナが咲いていたりする。

 

高校の現代文の時間でこれを読んだ時、主人公に共感した、を通り越して、今まで言ってほしかったことを言ってくれてありがたい、くらいに感じたような気がする。渋谷で乗り換えて毎朝高校に通っていた私は、都心という場所に(乗り換えの数分間滞在するだけで)かなり疲れていて、自身がなんとなく摩耗されていく感覚があった。なので摩耗された分、今までなんでもなかったような地元の古い駄菓子屋とか焼き鳥屋とかに妙な愛着を持っていた気がする。

 

まあそんなことはよしとして、どうしてこの抜粋を載せたかというと、この投稿を書き始めた時に、高校の現代文の先生が言っていたことを思い出したからだ。「栄えた都市の表通りから一本入れば、必ずこうした、発展に便乗できなかった人の集まるボロボロの通りがある」と言っていたと思う。そして、私はポートランドでサイクリングをした時に、それにとても近いものを見た。

 

前の投稿で紹介したように、ポートランドはそれ自体がブランドになっているような都市で、都市改革の成功例として世界中で知られている。でも、そのポートランドの中心から少し離れてみればテントを貼ったホームレスの集まりがそこかしこで発見できるのだ。(写真は撮らなかったけど、画像検索(portland homelessness - Google 検索 )をすれば大体私が見たもののイメージは掴めると思う。)

サイクリングの日、目的の街まで車通りの多い道路脇を自転車で走りはじめた。

するとすぐに、スーパーで見かけるような大きな買い物カートがポイ捨てされているのを見つけた。

 

おっと?なんで道路脇に買い物カートがあんねんw

 

と思った矢先、土手でまたカートを見つけた。でもそこには生活感が漂うテントが立ててあり、とそのテントに住む人々の服がカートに積んである。

 

おっと?そういうこと?

 

そこはホームレスの家族が住んでいる土手だった。ベビーカーも2つ見えたのでもしかしたら小さな子供も一緒に住んでいるのかもしれない、と思いながら自転車を漕ぎ続けた。日本でこの光景を見たならば、子供の目を塞ぐ親が多いのではないだろうか。

そのくらい、衝撃的な光景だった。

その後もサイクリングが進むにつれ、高速下の斜面に連なるテント群が村のようになっていたり、狭くて暗い道とはいえ公共の道でヘロインを打っている人々すら見かけた。注射器とそこは想像以上の数のテントがあり、逆に私たちがそこではマイノリティのように感じられた。

ちなみに自転車で移動するにつれて、スーパーの大きなカートは、自分が持っているものそこに放り込んで移動する際に必要なモビリティだったってことを理解した。

 

ポートランド自体はいい街だ。でもその周辺をサイクリングしてみれば、その中心街に属さない人々が暮らしていた。それが「私はホームレスとしてここに暮らしたい」という自主的な決断なのか、「どうしようもないからここで暮らしている」という結果なのかは一概に断定することができない。 まあ私からしてみればもちろん、無機質なテントの集まりには風情もへちまもない。漂う空気は淀んでいて、そこに住んでいる人々はほとんどが無気力なようにうつった。それでも、都市の文化に属さず、家を持たず、きらびやかな中心街から離れ、適当な場所に「隙間」を見つけて生活する人々の姿は、俗にいう[素晴らしい]とか[良い]とかいう基準から外れてなお、何か私のこころに跡を残すだけの迫力をもっていた。

 

さて、次はアメリカのホームレス事情について書いていきたい。

基にしているのはBloombergの記事(Bloomberg - Are you a robot?)なので、英語が読める人は原文を読んだ方が早いかもしれない。ただ、記事自体が結構長いからここに私が大切だと思うところを抽出しておきたい。

 

1.ホームレスの歴史

記事の中で一番興味深かったのはアメリカにおけるホームレスの歴史はアメリカの建国の歴史と共にあるということだ。南北戦争が終結したアメリカは、退役軍人と解放された奴隷たちの行き場のない状態が続き、ホームレスは急増した。1866年には(南北戦争の終結は1865年)「浮浪罪」なる法律があり、浮浪者と思しき人物は逮捕された。19世紀末になると各都市にskid row(ドヤ街)-日雇い労働者が夜を明かすための安宿が集まることで形成される-が出現した。時を同じくして産業の改革や経済の発展を受けてホームレスは急増した。時代は飛んで1950-60年代にかけて行われた都市改造計画によってskid-rowは消滅していった。これが俗に言うGentrificationだ。

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CHOPで見つけたCops kill (people) so does gentrificationの文字

都市改革に加えて、1955年のクロルプロマジン(精神安定剤で統合失調症などの治療に使用されるそうだ)の導入で始まった精神障害をもつ患者を施設から出すという政策の「脱施設化」(deinstitutionalization)によって、医療政策が充実した一方で、精神的な脆弱性をもつ人々がホームレスになる危険性が増加した。

これ、私は興味深いなと思った。

確かに、ホームレスの人々に神的な疾患をそのまま放置して路上で生活している人たちは多いように感じる。街を歩けばちょっと怖い人に当たる、という感じだ。一つよくなればもう一つ課題の出るタイプのやつ。

脱施設化の政策は市民の精神疾患に対する偏見が減ったり、精神疾患を解決した後の社会復帰が楽になるといった面はあるが、その裏側で頼るあてのない人々・社会復帰の難しい人々は行くあてがなく路上に帰っていく。もしくは刑務所が実質肩代わりしている、というのが実態らしい。

 

2.どうしてホームレスになるのか?

少なくともアメリカにおいては、

・定住に必要な財産を失う

・家族の協力や社会的な繋がりを失う

・身体的な不調をきたす

が大きな原因となっているみたいだ。

いたってシンプル。例えば、不況で失職しストレスからオピオイド中毒になり、それよりも安く販売されている薬物で薬物中毒になる。家族に愛想を尽かされ離婚をし、社会的な繋がりは切れてしまう。となれば、人はあっという間に孤独なホームレス生活になる。

ホームレスになるというのは実に身近な話なんだ。

一方で、自ら望んでホームレスの生活をする人もいる。そして、その気持ちがうまく説明できないけれどもわからなくもない。様々な義務、固定概念、社会的プレッシャーから逃れられたらどんなに楽に生活できるだろう、そんな気持ちは誰しもが持っているんじゃないだろうか。

  

3.どうしたらホームレス問題は解決されるのか?

 まずは、どうしたら人々のホームレス化を防げるのか?

政府が家賃の上昇をコントロールすること、家賃の補償をすること、立ち退きの際のケアを義務付けることなど、考えられる方法はあり、それでもダメならシェルターに行って過ごす他にはない。各都市がホームレス問題に対して解決策を打診していることは確かだけれど、効果が出るまでに時間はかかるだろう。

 

シアトルでも数週間前には地元大手企業の社員に対して、給料別で所得税が改められることが発表された。そして現在トランプ劣勢の大統領選挙が11月に迫っている。これからアメリカはどんな国に変化していくのだろう・・・。

 

今回はホームレスについて長〜く語ってみた。

読んでいただいてありがとうございます。

指摘やコメントを残してもらえたら嬉しいです!

 

ではまた!

 

 

参考

www.bloomberg.com