オミクロンに罹りながら、卒論を書いています

St. John's Collegeに在籍して3年と一学期が過ぎました。

そして大学生活最後の冬休みが始まりました。

冬休み、始まる前から嫌な予感はしていたんです。

オミクロンのオミク・・くらいまでは予感してました。

そして見事感染しました。

私みたいに、コーヒーと菓子パンを買いに行くしかほぼ外出しないような人でも感染するのだから、オミクロンの感染力は凄まじい。

風邪みたいな症状、というのは本当で、特になんともありません。

 

さて、St. John'sでは冬休みのこの時期、4年生が卒論を書きます。

卒論とはいいつつも、自分の大学は専攻が無い(気になる人は前回の投稿を読んでみて)大学なので、自分にとって重要だと考えられるテーマなり、著作なりを選んで、20ページくらいのエッセイを書くというのがSt. John'sの卒論です。

私の選んだ著作はジャン・ジャック・ルソーの「エミール」という本です。

大学のプログラム内の本ではないので、自分で選んで、この本でエッセイを書きたいのです、という理由を伝えたところ書かせてもらえることになりました。

ルソーと聞くと、社会契約論とか、一般意志とか、難しそうな専門用語を使っているイメージがありますよね。あと、気難しそうな大学生が読んでいそうとか。

でも、「エミール」はどっちかというとハートフルヒューマン・ドラマ(?)。ルソーが、「僕が子供を育てるならこういう風に教育したい」っていうことを、フィクションドラマと随筆を半々くらいにして書き綴っている本です。

ルソーの随筆は、少し読んだことがあって結構歯に衣着せぬ、毒舌なところが面白くて、今回も期待していました。

で、読んでみたらやっぱり読むのが楽しかった。

「エミール」について自分の理解度確認がてら、紹介させてください。

 

本著作の1章から4章は、主人公エミールという男の子が、家庭教師兼父親(ルソー自身)と共に青年に成長していくまでの教育の課程が書かれています。そして一番読んでいて楽しいのは第5章です。ソフィーという女の子が登場して、エミールと恋に落ち、結婚するまでの様子が小説のようなタッチで描かれているから。恋バナ大好き。

ストーリーは各章を通じて色々とあるわけですが、ひとつ、1章から5章までで一貫して貫かれている、ルソーの信条のようなものがあります。

それは、ルソーの考える人間の「自然の状態」を尊重するというもの。他の著作などを通しても知られていることですが、ルソーは「エミール」においても、性善説を信じ、人間はもともと悪を知らずに生まれてくるものとして論を進めます。ルソーは、この自然の状態を維持できれば人間は絶対に悪くならないと考えているのです。(彼の書き方が非常に上手いので、読み終わる頃には完全に説得されていました)

性善説の考え方から、ルソーは少年エミールを悪習のあふれる都会から離れさせ、田舎の自然のなかで育て、そもそも学校などの公教育も悪い影響を及ぼすとして自分でエミールを教育していきます。その中でも面白いのは

 

1)エミールが泣いても知らん顔 

2)とにかく外で遊ばす 

3)読み書きは18からで良い

 

最初、教育の名著やって言われて読み始めたのに全然教育してへんやんけ!と思いました。

・・・でも、ルソーには教育の原則があります。その原則に則っていれば、教育が間違った方向に行くことは無いということらしいのです。

その原則とは、エミールを幸福にすること。

そしてその幸福とは、

エミール自身が「自分で自分を支配できるような人間に成る」こと。

つまり賢くなって金儲けできるようになる、とか体を鍛えて誰もが恐れる軍隊のトップになるとか、そういう単位の目標は立てていないのです。

ルソーは、エミールが金や力といった外的な要因によって幸福になることではなく、自らの力で自らのことを幸福にできるようになってほしい、と願っているということのようです。

そう考えると、先の3つも

1)エミールが泣いても知らん顔 (あんまり構うと自制の効かないおとなになる)

2)とにかく外で遊ばす (外で遊ぶうちに体が強くなるし、実用的な学びが身につく)

3)読み書きは18からで良い (嫌々やらせたところでいい事はないし、外遊びなどを通して身につけた知性があるので問題ない)

といった感じで正当化されてしまうわけです。なるほど。

 

そんな幸福を自給自足できるように育てられたエミールも、第5章で恋に落ちます。

恋のお相手の名前はソフィー。彼女はどこかで素敵なご両親に育てられた娘、という設定になっていて、ルソー(家庭教師)が「そろそろエミールも結婚だな」と考えている頃に、旅先で偶然出会うという筋書きです。

このソフィーの育て方についてもルソーは色々と考えていて、さっきのような例で言えば、

1)女性は人を喜ばせる技術を身につけるべき

2)女性に観念的なことを考えることは向かないので、哲学的な学問領域を教えない

3)美徳を愛する心を教えるべき

といった教育の基本方針があります。

 

最初は、女性の社会進出が進んでいる現代において、これは時代遅れな考え方では?と思いました。私も大学に通って、4年間哲学書を読み続けてきたので、間違いなくルソーの批判する女性像に当てはまっていますし、第5章でこういったものを読み始めたときはかなり抵抗感がありました。勝手に、自分が批判されたみたいな気分になってだいぶ不愉快でした。

しかし、私がルソーを好きな理由として、全てが彼自身の考えた原則に立ち返るということがあります。彼の女性教育論も、先程紹介した人間の「自然の状態」に立ち返って考えることができます。

まず彼は、女性と男性には同じような体と同じような能力があることを認めた上で、性の違いが男女においてどのような違いを生み出すのかは正直わかりかねる!と実は最初に言ってしまいます。

でも、性の差はあれど、どちらもが人間という種に属しているということは事実。

つまり、男女は自然の共通の目的に向かって生きていることは確かだという考えに至ります。

で、この共通の目的を果たすために男女でチームワークが生まれます。

すると自ずと男女には差別化された行動指針のようなものができてくるはず。という議論に至って、ここから様々な女性の教育方針が決定されていくわけです。

 

「エミール」を読了して疑問に思ったことが大きく分けて3つあります。

 

①「エミール」は時代遅れな教育論か?

少なくとも私が生まれ育った現代日本の社会では、女性と男性の教育に差異がほとんど見られません。そもそも、女性と男性という区分で物事を語ることすらタブーであるとされています。このような時代において、ルソーの「エミール」という著作はどんな価値があるんだろうと思いました。そもそも価値があるでしょうか。ルソーが大きな価値を置く、「自然」という考えかたは偏っているんでしょうか。

実は、意外かもしれませんがルソーのエミールはフェミニズムの先駆けとも読める本です。古いキリスト教の教えでは、女子は家のことだけに携われば良いと考えられ、貞淑な女性像を強制されていました。ルソーは、女性も(限定はされるが)学問を効果的に身につけるべきで、貞淑な女性像を押し付けることは逆に悪習を生むと考えました。

古そうだと思えることも、時代のコンテクストを踏まえれば、案外進歩的だったりするものですね。

 

②教育できることとはなにか?

私のエッセイの主軸は、幸福と教育。

ルソーは「エミール」の中で家庭教師/親としてエミールを幸福にすることを目的に教育を施していきます。でも、ソクラテスならこう言うでしょう。

「自分で自分を幸福にするんじゃないん?」「幸福って誰かに教えられるものなん?」と。確かに、そもそもルソーはどんな立場からエミールを幸福にする、などと言っているのでしょうか。ルソーは幸福なのでしょうか。教育する側とされる側には違う幸福があるのでしょうか。

私は、エミールを読んでみて、ルソーの言う教育は、しつけに近いところがあるなと思いました。ただ、盲目的に作法を身につけるようなしつけではなく、自らが喜んでそうしたいと思うようになるよう、いわゆる美徳の愛好家になるように訓練するといった要素が強いように思えました。教育の本質ってどこにあるんだろうか。

 

③恋・結婚の意味はなに?

それから、気になるのはエミール青年の恋と結婚です。エミールはこの経験から何を学ぶのでしょうか。ソクラテス的に言うと、恋(エロス)は善を求めるときの反応のようなもの。ルソーの語る恋も、かなりこの概念に近いものがあると思います。

あと実は、エミールは婚約が成立してから結婚するまでにヨーロッパを2年ほど旅するというミッションを課されてしまいます。これは、ソフィーにメロンメロンになってしまい、我を忘れてしまっているエミールを見かねたルソーが思いついたものでした。この旅の意味についても、もう少し考えてみたいと思っています。

 

あ~考えまとまらないけど、アドバイザーの先生にたくさんお話を聞いていただこうと思います。

読んでいただいてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

癖の強い米国リベラルアーツ大学を紹介します

 

なんと、最後の投稿から1年経っていました。

今回は新しく、自分の通う大学について投稿したいと思います。

長いんですけど、(我が愛する)大学の理念と、一番最後に自分がこの大学を選んだ理由を語ってみたので読んでもらえると嬉しいです。

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私は、メリーランド州アナポリスにある、St. John's College(以下SJC)という大学に通っています。

日本ではほとんど知名度がない大学なので、これを機に調べてもらえると嬉しいです。

 

海外大志望者ならば誰もが訪れるであろう、大学ランキングサイトのUS NEWSによれば、

全米のリベラルアーツ大学の中で全米67位にランクインしているみたいです。

ちなみに、海外大学向けの奨学金に申し込もうとするときに、その大学が一定ランク以内に入っている必要があったりして、進学前は結構、ランキングは気にしていました。

結局、SJCにはその独特なカリキュラムに惹かれて入学したんですけどね笑

 

SJCの在学者数は600人弱。

とても小さな大学です。

なんでこんなに小さい大学なのか、

どうして私がこんなに小さい大学を選んだのか、

その理由を少し説明したいと思います。

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まずSJCはリベラルアーツ大学です。リベラルアーツの大学は、

総合大学よりも小規模で、個々の学生に合ったキャンパスライフを提供するよ、といったところが一般的なイメージかと思います。

 

でもリベラルアーツの本当の意味は、元来古代ギリシャの哲学者たちが考案した概念にさかのぼります。Grammar, Logic, Rhetoric, Geometry, Arithematic, Astronomy, Musicの 合計7つの分野を学問の基礎に据えた学術体系を指すらしいです。

 

「アーツ」って入ってるから絵とか描いたりするのかな?っていうのはちょっと違うんですよね〜。

 

私が思うに、リベラルアーツ大学では専門的な分野に特化して学ぶ総合大学とは違って、様々な学問のつながりを捉えることに重きを置き、物事を多様な側面から考える力を養うことを目標としています。

 

そして、私の通うSJCはこのリベラルアーツの理念を他のリベラルアーツ大学と比べて、100倍濃縮したようなプログラムをもって成り立っています。

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紋章にもリベラルアーツの語源を表す7冊の本が描かれています。
体育館の真ん中にもこのロゴが描かれてますw

そのカリキュラムは簡単に説明するとスリーステップ。

1. 古典を読む

2. 教室に足を運び、聞く、喋る

(なお、世界がパンデミックしている間はオンラインに置き換えられました)

3. 学期末に執筆をする

 

そしてこのシンプルなカリキュラムをSJCならではのものにしているのが、

1. チュートリアル(Tutorials)

2. ゼミ (Seminar)

 です。

 

この1.のチュートリアルでは古典ギリシャ語でプラトンを翻訳したり、ニュートンの著作を読んでプレゼンしたり、ラボラトリーでフェラデーの実験を再現したりと、Math, Lab (Music), Languageの3つの教科の専門的な内容をバシバシ、インプットしていきます。

 

2.のゼミでは古代ギリシャから20世紀の哲学者まで、西洋文化の基盤となっている著作をゴリゴリと読んで、週に2回、2時間、みっちりディスカッションをします。

そして1と2に共通する大切なことは、「原書に触れる」ということ。

例えば、4年生になってから取り扱う量子力学の分野では、実際にアインシュタインの書いた論文を読んで、それと補足のマニュアルを同時並行で読みつつ、光や電気の物理学史を学んでいきます。チュートリアルでは数学は小学校の頃から苦手だった私が、論文内に書かれている方程式の意味をプレゼンしたりします。

物理だけでなく、ギリシャ語のチュートリアルではギリシャ悲劇を原語から英語に翻訳したり、音楽のチュートリアルならパレストリーナのミサ曲の楽譜を見ながら対位法の分析をします。こうして、西洋文化に影響を与えたものに関して、文理のジャンルを問わず原著にあたることで、誰かの解釈を学ぶのではなく、自分自身の意見を形作っていくことができます。

 

なのでSJCでは、

・小学校から高校まででなんとなく覚えた公式がそもそもどう成り立っているのか?

・聞いたことはあるけれどよくは知らない哲学者(アリストテレスとかソクラテスとか)が何を考えて何を書き残したのか?

・身の回りで前提として扱われいることって本当に正しいの?

 

みたいな疑問を、原書を読むことで深堀りしていくことができます。

今まで当たり前として捉えていた知識を、原書を読む行為を通して再発見→検討すると考えてもいいかもしれません。

 

「高校の図書室で、誰も手に取らないホコリを被った分厚いあの本が、こんなに生き生きとした内容だったなんて!」と難しそうな本に対しての偏見も段々と無くなってしまいますw

 

ということで、この癖の強いカリキュラムで学生一人ひとりの成長を見ながらやっていくには、500人くらいの規模でないとやっていけない、ということもなんとなく納得してもらえると思います。

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 正直な話をすると、

この時代にこんなにも時代に逆行したことをする大学に、進んで来たいと思う学生は多くありません。

リベラルアーツ大学を哲学専攻(そもそもSJCではみな同じカリキュラムに沿っているので専攻という概念がないのですが。)で卒業して、どこに就職できるのか?という不安は高校生であっても当然考えるところです。

(実際、SJCのAcceptance rate(合格率)が高いという事実もSJCの需要の無さを裏付けていると思います。)

そういった現実的な観点から言っても、SJCが小さな大学である理由がわかります。

他の理由としては、学費が高すぎてアプライすらできない、とかもあると思います。

(Financial Aid や奨学金を取れたとしても、教育ローンの返済に苦しんでいる友達、学費の支払いが滞り退学する友人を何人も見てきました。)

とは言いつつ、2018年にやってきた学長は

1. 学費の値下げ

2.$35000から値上げをしない公約 

3. $300million のファンドレイジングキャンペーン

を実行してファンドレイジングもほぼ達成しているいうことで、結構いい仕事をしてくれました。

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脱線しました。

とにかくマイナス面も含めて、それでも私がSJCに来たい、と思えたのは、SJCのカリキュラムがどうしても魅力的だったから。普通に考えれば、世間体や卒業後の進路などを考えて、もっと「賢い」大学選びができたことは事実です。

 

それでも高校を卒業する前の私が「今自分が一番欲しいものは?」と考えた時、この大学に身をおいて、文理を超えた勉強を通じて自らの教養を深めること以上に、自分がワクワクする選択肢はありませんでした!というか、「これしかないな。」と思うくらい、自分にとってぴったりの進路選択だったと思います。この決断をした自分と、この大学生活を支えてくれた人たち全員に感謝しているし、今は大学生活が本当に充実していて楽しいです。

 

なので、もし海外大学を志す高校生がこの記事を読んでくれていたら、大学選びはランキングや世間からの見られ方は参考程度にしつつ、「この大学で自分のしたいことができるか?」という視点で最終決定をしてほしいなあ、と思います。なぜなら、自分で決めたことはあとになって辛くなっても頑張れるから。私も、大学の勉強がハードなときは、「でも自分で決めたよなあ」と思い返すと頑張れます。

 

最後何の話やねん、て感じになりましたが、以上、私の通う大学紹介でした。

読んでいただいて、ありがとうございます。

 

 

アメリカに来てから大変だったこと

ブログを書くのは難しい。

論文を書くわけでもないし、日記を公開したいわけでもないし、手紙を書くわけでもない。

どんな文体で書いていいのかわからなくて、書いては消して書いては消してを繰り返していたら前の投稿から3ヶ月も開けてしまいました。

でも文体とか文章がうまいとか下手とかっていう問題は、そんなに大切ではないんでないか?

考えてたことをそのまま書いてみればいいんではないか?

ということに気づいて、もう一度書き始めてみることにしました。

 

今日はアメリカの大学に来てから苦労していることについて。

それは、何よりも英語が思うように使えていないと感じて、ストレスになること。

これは日本語で喋ること・読むことが好きであればあるほど、英語で伝わっていない感じがして、感じることなのではないでしょうか。

こっちに来てから、「英検は1級を取得」とか「TOEFLのスピーキングに関してはほぼ満点」とか、何の自信にもならないことを知りました。

日本の狭いコミュニティーでちょっと自慢するのに役立つくらいの価値しかありませんでした。実際に大学で大切なのは読解力とコミュ力です。

当然だけど、大学ではたくさんの本を読みます。

その上で、与えられた時間の中で、正確に筆者の言い分をだいたい把握すること、そしてどうやってアーギュメントが組み立てられてるかってことを理解する力が読解力。

コミュ力は読んだものに自分なりの意味を持たせて人に伝える力です。

言い換えれば、読解力は自分の知識を増やすために必要な力で、コミュ力は人とその知識を介して繋がる時に必要な力です。

 

なんてことでしょう。コミュ力がないといくら知識があっても人と繋がることができないのです。

 

コミュ力は「人に好かれる力」と結構近いです。

難しそうなことを魅力的に面白く伝える人って一瞬で好きになっちゃいますよね。

そういうことです。

まあ人に好かれなくても、「自然な英語で」、無理なく伝える、というのがコミュ力です。

でも自然な英語っていうのはなかなか身につかない。

自然に表現できずにイライラすることは毎日起こります。

日常で普通に使う、何気ない一言や言い回し、フレージングやスラングの使い方、キッチンで使う日用品の名前やアメリカ人が昔から読んでいる本の題名、そんなような言葉がスラスラと出てこないことが、私にとってはストレスだったりします。

 

イメージですけど、英語を自然に話すということは、頭の中にぐるぐると回っている、「なんとなくこんなことを言いたい」の塊を、英語という網でキャッチして、組み立てて、スムーズに口に接続するようなことなんじゃないかなと思います。

まずこのキャッチに時間がかかるし、そもそも言葉を知らなかったら説明する言葉を探すところから始まる。そして捕まえた言葉は一番効率的に「伝わる」順序に組み立てられて口に届けらないといけない。

この「伝わる」の感覚?がなかなか身につかないのです。。。

 

だから、本当に辛いなーとか、自分混乱してるなーと思って人に相談したくなった時は絶対に日本語で電話をかけます。そうするとどれだけ自分が英語で解決できないことが日本語で話すことによって解決されていくかわかります。

論理ではうまく説明できないことですが、やはり20年近く慣れ親しんだ言語は5年着古したスウェットみたいなもので、どうしたって落ち着くわけです。

そうですね。日本語で話すって落ち着くんです。

 

でも、時にはそんな落ち着く場所から飛び出して、英語を使って生活すると、「世界は広いな〜」と気づきます。それが言語学習のいいところです。

例えば、私が大学で読んでいるような本(古典的な西洋哲学の本)に関しては、英語で検索した方が圧倒的に文献があります。無料PDFも大量にネットに落ちているし。もちろん、日本語でヘロドトスって検索しても無料で読める「歴史」のpdfは落ちていません。

つまり、人が使う言語には、その言語の周りで発達した文化とか、その文化圏が得意とするものが集まってきて、固まっていくんだと思います。

時には、長いこと同じ文化圏にいると、その外が見えなくなって、かなり画一的な文化の中で生活してるという意識すら持たなくなってしまいます。

日々苦労しても、母国語と違う言語で生活をすることで、こうして少しずつ文化圏が広がっていくと、勉強していてよかったなーと思います。

 

以上、大学で苦労することと、それでもいいことがあるよっていうお話でした〜。

 

 

アメリカのホームレスについて

 前々回の投稿、

 

pinoko-kinoko.hatenablog.com

 

でちらっと書いたように、

アメリカに来たり、日本以外の国を旅行するようになってから、ホームレスをよく目にするようになった。事実、日本よりもアメリカの方が路上生活者は文字通り、ケタ違いに多い。

今回は、前半で私が体験したホームレスにまつわる話を、後半でアメリカのホームレス事情について書いていこう。

 

 

でもエピソードの前に、

梶原基次郎の「檸檬」を読んだことがあるだろうか。

私は高校の現代文の授業で知ったのだけど。

梶井基次郎 檸檬

主人公の男は、京都で友人の家から家へ下宿させてもらって暮らしている。身体と精神は肺結核と神経症でボロボロで、おまけに借金を抱えている。

友人宅を訪ねては少し滞在してすぐに追い出され、もう一つ訪ねては追い出されを繰り返し、毎日京都の裏通りを浮浪して時間を潰す、そんな生活を続けている。

その中で彼はこんなことを言う。

 

何故なぜだかその頃私はみすぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋がのぞいていたりする裏通りが好きであった。雨や風がむしばんでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀どべいが崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵ひまわりがあったりカンナが咲いていたりする。

 

高校の現代文の時間でこれを読んだ時、主人公に共感した、を通り越して、今まで言ってほしかったことを言ってくれてありがたい、くらいに感じたような気がする。渋谷で乗り換えて毎朝高校に通っていた私は、都心という場所に(乗り換えの数分間滞在するだけで)かなり疲れていて、自身がなんとなく摩耗されていく感覚があった。なので摩耗された分、今までなんでもなかったような地元の古い駄菓子屋とか焼き鳥屋とかに妙な愛着を持っていた気がする。

 

まあそんなことはよしとして、どうしてこの抜粋を載せたかというと、この投稿を書き始めた時に、高校の現代文の先生が言っていたことを思い出したからだ。「栄えた都市の表通りから一本入れば、必ずこうした、発展に便乗できなかった人の集まるボロボロの通りがある」と言っていたと思う。そして、私はポートランドでサイクリングをした時に、それにとても近いものを見た。

 

前の投稿で紹介したように、ポートランドはそれ自体がブランドになっているような都市で、都市改革の成功例として世界中で知られている。でも、そのポートランドの中心から少し離れてみればテントを貼ったホームレスの集まりがそこかしこで発見できるのだ。(写真は撮らなかったけど、画像検索(portland homelessness - Google 検索 )をすれば大体私が見たもののイメージは掴めると思う。)

サイクリングの日、目的の街まで車通りの多い道路脇を自転車で走りはじめた。

するとすぐに、スーパーで見かけるような大きな買い物カートがポイ捨てされているのを見つけた。

 

おっと?なんで道路脇に買い物カートがあんねんw

 

と思った矢先、土手でまたカートを見つけた。でもそこには生活感が漂うテントが立ててあり、とそのテントに住む人々の服がカートに積んである。

 

おっと?そういうこと?

 

そこはホームレスの家族が住んでいる土手だった。ベビーカーも2つ見えたのでもしかしたら小さな子供も一緒に住んでいるのかもしれない、と思いながら自転車を漕ぎ続けた。日本でこの光景を見たならば、子供の目を塞ぐ親が多いのではないだろうか。

そのくらい、衝撃的な光景だった。

その後もサイクリングが進むにつれ、高速下の斜面に連なるテント群が村のようになっていたり、狭くて暗い道とはいえ公共の道でヘロインを打っている人々すら見かけた。注射器とそこは想像以上の数のテントがあり、逆に私たちがそこではマイノリティのように感じられた。

ちなみに自転車で移動するにつれて、スーパーの大きなカートは、自分が持っているものそこに放り込んで移動する際に必要なモビリティだったってことを理解した。

 

ポートランド自体はいい街だ。でもその周辺をサイクリングしてみれば、その中心街に属さない人々が暮らしていた。それが「私はホームレスとしてここに暮らしたい」という自主的な決断なのか、「どうしようもないからここで暮らしている」という結果なのかは一概に断定することができない。 まあ私からしてみればもちろん、無機質なテントの集まりには風情もへちまもない。漂う空気は淀んでいて、そこに住んでいる人々はほとんどが無気力なようにうつった。それでも、都市の文化に属さず、家を持たず、きらびやかな中心街から離れ、適当な場所に「隙間」を見つけて生活する人々の姿は、俗にいう[素晴らしい]とか[良い]とかいう基準から外れてなお、何か私のこころに跡を残すだけの迫力をもっていた。

 

さて、次はアメリカのホームレス事情について書いていきたい。

基にしているのはBloombergの記事(Bloomberg - Are you a robot?)なので、英語が読める人は原文を読んだ方が早いかもしれない。ただ、記事自体が結構長いからここに私が大切だと思うところを抽出しておきたい。

 

1.ホームレスの歴史

記事の中で一番興味深かったのはアメリカにおけるホームレスの歴史はアメリカの建国の歴史と共にあるということだ。南北戦争が終結したアメリカは、退役軍人と解放された奴隷たちの行き場のない状態が続き、ホームレスは急増した。1866年には(南北戦争の終結は1865年)「浮浪罪」なる法律があり、浮浪者と思しき人物は逮捕された。19世紀末になると各都市にskid row(ドヤ街)-日雇い労働者が夜を明かすための安宿が集まることで形成される-が出現した。時を同じくして産業の改革や経済の発展を受けてホームレスは急増した。時代は飛んで1950-60年代にかけて行われた都市改造計画によってskid-rowは消滅していった。これが俗に言うGentrificationだ。

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CHOPで見つけたCops kill (people) so does gentrificationの文字

都市改革に加えて、1955年のクロルプロマジン(精神安定剤で統合失調症などの治療に使用されるそうだ)の導入で始まった精神障害をもつ患者を施設から出すという政策の「脱施設化」(deinstitutionalization)によって、医療政策が充実した一方で、精神的な脆弱性をもつ人々がホームレスになる危険性が増加した。

これ、私は興味深いなと思った。

確かに、ホームレスの人々に神的な疾患をそのまま放置して路上で生活している人たちは多いように感じる。街を歩けばちょっと怖い人に当たる、という感じだ。一つよくなればもう一つ課題の出るタイプのやつ。

脱施設化の政策は市民の精神疾患に対する偏見が減ったり、精神疾患を解決した後の社会復帰が楽になるといった面はあるが、その裏側で頼るあてのない人々・社会復帰の難しい人々は行くあてがなく路上に帰っていく。もしくは刑務所が実質肩代わりしている、というのが実態らしい。

 

2.どうしてホームレスになるのか?

少なくともアメリカにおいては、

・定住に必要な財産を失う

・家族の協力や社会的な繋がりを失う

・身体的な不調をきたす

が大きな原因となっているみたいだ。

いたってシンプル。例えば、不況で失職しストレスからオピオイド中毒になり、それよりも安く販売されている薬物で薬物中毒になる。家族に愛想を尽かされ離婚をし、社会的な繋がりは切れてしまう。となれば、人はあっという間に孤独なホームレス生活になる。

ホームレスになるというのは実に身近な話なんだ。

一方で、自ら望んでホームレスの生活をする人もいる。そして、その気持ちがうまく説明できないけれどもわからなくもない。様々な義務、固定概念、社会的プレッシャーから逃れられたらどんなに楽に生活できるだろう、そんな気持ちは誰しもが持っているんじゃないだろうか。

  

3.どうしたらホームレス問題は解決されるのか?

 まずは、どうしたら人々のホームレス化を防げるのか?

政府が家賃の上昇をコントロールすること、家賃の補償をすること、立ち退きの際のケアを義務付けることなど、考えられる方法はあり、それでもダメならシェルターに行って過ごす他にはない。各都市がホームレス問題に対して解決策を打診していることは確かだけれど、効果が出るまでに時間はかかるだろう。

 

シアトルでも数週間前には地元大手企業の社員に対して、給料別で所得税が改められることが発表された。そして現在トランプ劣勢の大統領選挙が11月に迫っている。これからアメリカはどんな国に変化していくのだろう・・・。

 

今回はホームレスについて長〜く語ってみた。

読んでいただいてありがとうございます。

指摘やコメントを残してもらえたら嬉しいです!

 

ではまた!

 

 

参考

www.bloomberg.com

CHOP完結編(1) またCHOPに行ってきた。

こんにちは。

 

今回は、2回にわたって書いてきたCHOPについてまとめたい。(訳あって投稿が遅れてもうた)

なぜまとめないといけないかというと、7月1日にシアトル警察がジェニーダーカン市長の指示のもとで、CHOPの強制撤去を行ったからだ。だから、私はとりあえずCHOPは終わったのだ、と理解している。また、「強制」と書くと語意が強まるけど、正直こうなることは時間の問題だと、みんな思っていた、と思う。

そして、なんでCHOPの撤退が時間の問題だったかというと、

 

6月19日、CHOP内で19歳の青年が銃殺された。もう一人も負傷。(深夜2時半ごろ)

6月29日、CHOP内で16歳の少年が銃殺・14歳の少年は重篤な状態。(深夜3時ごろ)

 

10日で2名の死者の出たCHOPで、警察が何もしないということに憤慨する人々の声が上がった。警察が入れないということが、その地域を無法地帯にしているのではないか?市民がそんな考えに至るのは当然だ。昨日ちょうど通りかかったので、車から撤去されたCHOPの姿を納めてきた。

 

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すっかり片付いたCHOP

道路中央のBLACK LIVES MATTERの文字はまだ残されている

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キャンプして泊まっていた人たちが居た公園。

今は黄色いテープで立ち入りが禁止されている。


公園内の建物はある程度綺麗に塗装がされた。警察署にスプレーされたグラフィティも半分程度は綺麗に消えていた。日常に戻ったキャピトルヒルにはもちろん警察の車が停まっている。

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警察車両。

旧CHOP内で少なくとも4つは見かけた。

綺麗さっぱりCHOPは「なくなっていた」。具体的には、

泊まり込みの人々のテントがない、晴れているのに訪れる人がいない、壁・建物のグラフィティがない、無料で食べ物が提供される生協のテントがない。まるで一つのショーが終わったような、さびしい気持ちになった。

物理的にCHOPがCHOPであった印が消えた今、人間がキャピトルヒルでどんなことが起きていたかを忘れるのはあっという間だろう。だから、覚えているうちに考えて言葉にして残しておく必要があると思う

 

なので、ここで、CHOP終わったな〜ではなく

CHOPってなんだったんだろう?てことを考えておきたい。

具体的に考えられるように、3つ、考える課題を用意した。

・CHOPは何を目的にしてたんだろう

・CHOPは何を達成したんだろう

・つまり、CHOPは〇〇だ

 

・・・とここでCHOPで活動していた人のインタビューを載せるつもりが、質問への返信がなかなかこない。 ということでインタビューはまた別の記事にしようと思う。

とりあえず、CHOPはこんな様子になったということを早く載せておきたかったので今日はここまで。連絡がつき次第、必ず書きます!

 

→次回に続く 

読んでいただいてありがとうございます。

また読みにきてください! 

 

参考

Another Fatal Shooting in Seattle’s ‘CHOP’ Protest Zone - The New York Times

Seattle CHOP 'autonomous zone' cleared away by police officers - Insider

 

 

 

 

 

 

 

オレゴン州:ポートランドとPCT

 

今回は旅の話。

 

今泊まっているところの方に、シアトルのあるワシントン州を下って、ポートランドのあるオレゴン州に連れて行ってもらった。

オレゴン州といえば?

って訊かれてパッと答えられる人はどのくらいいるんだろう。

ポートランドは、人口65万人くらい。オレゴン州で一番大きな規模の都市だ。

兵庫県神戸市と姉妹都市であったり、全米1住みたい都市に選ばれているとか、日本でも高級スーパーでポートランド産の美味しいグラノーラが売っていたりとかで、何かとポートランドはおしゃれなイメージがあった。でも、行ってみるとイメージと現実は色々な意味で食い違っていた。そんなことを今回も書いてみたい。

 

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これはポートランドから少し車で行った郊外。

画面の中央やや左に映るのは、オレゴンの象徴、コロンビア川だ。

 

一番最初に訪れたのはワシントンパーク

ワシントンパークとは、日本庭園、動物園、博物館、自然公園とか一体になった場所の総称で、とにかく運動をするにも(サイクリングの人やランニングの人を沢山見かけた)、子どもと出かけるにしても(子ども博物館がある)、デートするにしても(パノラマが綺麗)、最適な場所なのだ。ポートランドはバラの街、ここはその中心のような場所だった。ここはバラが植わっているだけでなく公園という意味で優れていて、イメージよりもずっと良いところだと思った。

 

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600種類以上のバラがここに植わっている。

行くなら初夏が良い。

ここで、自転車に乗り換えた。

そこで案内してくれた人にポートランドの詳しい話を見聞きしたので書いておきたい。

ポートランドはもともと、郊外の大手モールに都心の自営業が負けていたり、民営バスがちゃんと機能していなかったり、都心内の地域間・人種間での格差が露骨になっていたりと、様々な問題を抱えた都市だった。

そこで1970年代に改革が起きた。

都市の中心部から離れて郊外に住み、通勤するというスタイルをから、中心部を住み良い場所にして、仕事もそれ以外の生活もここで全部できるようにすれば良い。そんな改革が起こったのが、ニール・ゴールドシュミット市長が就任してチームが発足した1973年から。

なんとその時、市長は33歳。政権は全員20代か30代前半だったんだそうだ。

そこから、1990年代にかけて地域活性化・公共機関の整備・ダウンタウン改革に力を入れてまちづくりが行われた。="population strategy"というらしい。

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サイクリング中の風景。

ライトレールを左手に自転車道を走った。橋の下では水上スキーをしてる。

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トラム乗り場。

トラムで登った丘の上には、医科大学・病院があるんだって。

写真でもわかる通り、今となってはポートランドでは車がなくても何処へでも移動ができてしまう。

川の洗浄プロジェクトを行って環境を整えたその場所で水浴びをする若者を見かけたり、古い建築物を残した地区がお洒落な若者の街になっていたり、30年かけて行われた改革の効果はこう考えてみると絶大だなと実感した。都市にはその歴史の分だけ人々の苦労があるんだということを知って、いい意味でポートランドのイメージが変わった。

 

でも、残念だったのは、コロナの影響で「いつものポートランド」は見られなかったこと。

本当は、アルバータの生協を訪れたり、公園でパレードを見たり、コンサートに行ったりポートランドの特有の活気を味わいたかったけど、今回は人がちらほらいるくらいでやはり元気がない。残念だった。

 

蛇足:友達がPortlandiaというスケッチコメディーを紹介してくれた。そのオープニングがこれ。

 

www.youtube.com

観てわかる通り、ポートランド民の徹底したオーガニック志向や「変でいることがかっこいい」文化をスキットにして笑いにしたシリーズ。(Netflixで配信中)

(ちなみにポートランド民はこれを怒らないで観て、逆に「これあるあるだよね」とゲラゲラ笑う。)

 

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自転車で爆走する人

さて、話は戻ってポートランドの街の話。

今回は活気には欠けていたけれど、他にポートランドらしい感じが伝わる写真がないか探していて、唯一伝わりそうだと思ったのが、この上の写真。

何が入っているのかわからないが私物を籠にたくさん積んで紐でくくりつけ、短パンTシャツで車道を走っていくお兄さん。他にも半裸でスケボーとか、スクーターの人もよく見かけた。街全体が小さくまとまっているから、思い思いのクルマ で移動するのが心地よい。それがポートランドのスタイルなんだ。

 

ここまででなんとなくポートランドのことを理解してもらえたと思う。

なので、ポートランドの他の一面(ダークサイド)を見たことも書いておきたい。

 

昼休みにしようと屋台でファラフェルのトラックに並んでいたら、ホームレスらしき40代くらいのおばさんが声をかけてきた。

「もう何日も食べてないんです、ご飯を分けてくれませんか?」

日本でこういう経験をしたことがないんだけど、アメリカで生活したり、旅行したりしているうちに最近は慣れてきた。

こういう時、私は半分怖くて、半分良心で、分けます。

ほぼ現金は持ち歩かないし、お金をあげても良いことがないことの方が多いから、

「お金をください」って言われたら断ることにしている。

でもご飯だったら、と思って分けている。

ということでファラフェルラップ、分けた。友達には、やめときなって言われたんだけど。

シアトル、ポートランドと新たにアメリカの都市を見てみて、ホームレス事情の深刻さは明らかだ。街中のいたるところにテントが立ち、そこで生活する人たちの衛生環境はひどい。橋の下の汚臭を放つテントや、観光客に昼ごはんと水を貰わないと生きていけないホームレスの人々を見ると、「全米一住みやすい街」でもこれが現実か、と思ってしまうのは仕方がない。

都市のホームレスについては、違う記事で書きたいと思っている。

 

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PCT

Bridge of the Godsの近くの入り口

 

最後に、ポートランドではないけれど、オレゴン州にもあるPCT (Pacific Crest Trail)-メキシコからカナダまで続く太平洋沿岸の山道-をほんの少しだけど紹介しておきたい。この山道近くにBridge of the Gods という、オレゴン州とワシントン州を分ける大きな橋がある。そこから見るコロンビア川は絶景。

PCTに関してはWildという映画 -薬物中毒・母親の死・離婚などを乗り越えるべくがむしゃらにPCTの長時間歩行に挑戦する女性の話- もあるので良かったらどうぞ。

www.youtube.com

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

感想があれば、コメントしていただけると嬉しいです!!!

ではまた!

 

参考

 

pdxscholar.library.pdx.edu

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、もう少しCHOPについて。

おはようございます、こんにちは、こんばんは!!!

Hi, this is Mana from Oregon this time.

今、ワシントン州から車で3時間ほど走らせた、オレゴン州の山の中から記事を書いている。

川のせせらぎの音と、山小屋特有のちょっと古びたにおいに癒されています。サラサラ…

そんな今回は、まだ前回の投稿であげきれなかった写真が残っていたことに気が付いたので、そうした写真と共に、CHOP(CHAZという言葉の持つ、「シアトルから独立したい」みたいな意味合いをなくすために名前が変更されたみたいだ)の生の感じを、もう少し細かく残しておきたいなって思った。

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6月14日

CHOPでネイティブアメリカンのスピーチを聴くカップル

6月20日、19歳の青年がCHOP内での発砲によって亡くなった。(私より3歳年下だ、もしこれが私だったら?なんて一瞬考えた。)

犯人は見つかっていない。

CHOP内は警察官の立ち入りは禁止されているから、駆けつけた警官は群衆によってCHOP内立ち入りを阻止されたみたい。ちなみに、警官が介入せずともCHOP内の救急隊が対応し、のちに病院に搬送されたが残念ながら亡くなってしまった、という話。

6月19日は、アメリカではJuneteenthといい、南北戦争の終結に伴う奴隷解放を祝う日。

その次の日に起こった悲しい事件だった。

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見えにくいけど、こう書いてある。

"We Don't Need Police, We Protect Us!"「警察は要らない、自分達の身は自分達で守る!」

 

この壁を見た友達は一言、

「このCHOPの活動は好きだけど、こういう極端な意見はどうかと思う(賛同できない)んだよね」

警察の組織を完全に廃止するという意見は今のところは少数派で、「警察がいない世界なんて想像できない・ありえない」っていう意見が大多数なんじゃないだろうか。

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CHOPの裏っぽい所。

そこら中に警察に対する罵倒罵倒罵倒。ちなみに"12"は警察の隠語らしいよ。

 

 ちなみに、無償で衣服や食料が供給されるCHOPには、シアトル中のホームレスの人々が集まってくる。シアトルに10年以上住んでいた人曰く、ここのホームレスの人々が高い確率で精神に障害があり、大きな声で人を罵倒したり、靴下のまま雨の中を歩き回っているのはいつものことらしいのだ。私が平気な顔をしながら、内心はビクつきながらCHOPを歩いていたことは想像に難くないだろう。

 

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赤字ではこう書いてある

"Cops kill so does gentrification"

「警官は人殺しだが、街の高級化(Gentrification)も同じことだ」

シアトル(とその郊外)といえばマイクロソフトやアマゾンなど、ここ数十年で急成長した企業の本社が籍を置いていることで有名だ。その中で進むGentrification(街の高級化)は、若くて特殊なスキルのある人材以外の人々をそれまでの暮らしから追いやっていることは確かだということはCHOPでも確認できた。一方でそうした大企業がシアトルをクールでヒップでリッチな街にしていることは否定のしようがない。

 

これ以上写真を載せられないみたいだから、今日はここまで。

 

そういえば、先日の投稿を見たアメリカ人の大学の友達から連絡が来て、

「日本語読めないけど、それCHOPじゃん!俺たちそこにいた!」と、

どうやらCHOPの運営に少なからず関わっている様子。ということで、

  • CHOPはいつまで続く?
  • そもそもCHOPの物資はどこからきているの?
  • この活動が大統領選挙にどんな影響を与えるのかな?
  • 警察のファンドを減らして教育に出資したら街はもっと平和に、公平になる?

シアトルに帰ったら、こんなことを友人に訊いてみたいなって考えている。

 

参考など

www.nytimes.com